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21 10 月, 2018

s2407

信扫描序列号:s2407
写信日期:1993-08
写信地址:天津市
受害日期:无
受害地址:无
写信人:无
受害人:无
类别:其它(OT)
细节:寄来几份报纸。

 

92.8.16

上海で最大だった慰安所『海乃家』の伝言

  第二次大戦中、中国・上海最大の従軍慰安所だった「海乃家」。その実態を当時の経営者の三男、坂下元司さん(六三)=ペンネーム・華公平、大阪府東大阪市=が克明につづった「従軍慰安所『海乃家』の伝言」が、出版された。坂下さんは本の中で、従軍慰安婦には旧日本軍から軍務従事者を証明する「軍属証明書」が発行され、食事も軍から支給されていたと証言。「軍が慰安所の経営にかかわっていたことは明らかだ」と指摘している。
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出版された「従軍慰安所『海乃家』の伝言」
経営者の三男、出版
実態は軍の丸抱え
食事は支給、検診も実施

  坂下さんは一九四四年七月、十五歳のとき、神戸市内の祖父母の家をあとにして、両親らが住む上海に渡った。そして父親(故人)が経営する「海乃家」を手伝うようになった。上海での生活は、終戦後の四六年三月まで続いた。「伝言」は、こう記す。
  「本館には、慰安婦の部屋が、十四、五部屋あったと記憶しています」「本館と別館合わせて四十五人ぐらいの慰安婦がいました」「朝鮮人慰安婦は十人近くはいたと思います」
  そして、旧日本軍にっいて。
  「海軍に支払うことになっていた家賃は、一応、五円」「経営については、すべて、海軍が親父(おやじ)に委嘱していました」「慰安婦たち約四十人の食事は別で、海軍が、トラックに積んで運んできて、支給してました」「慰安婦たちも軍属で、みんな、軍属の身分証明書を持っていました」
  当時「海乃家」にいた慰安婦は日本女性と朝鮮人女性がそれぞれ十人ほどで、残りは中国人女性。軍属証明書は名刺ほどの大きさで、中国人女性を除く慰安婦に発行された。慰安所の消毒や慰安婦の無料検診なども軍が行っていた、という。
  坂下さんは「慰安所の経営者だったという身内の恥をさらしてでも、事実は事実として伝えるべきだと思った。慰安所は実質的には軍の公的施設だった。日本、政府はその非を認めて、素直に謝罪すべきだ」と話している。

  「従軍慰安所『海乃家』の伝言」は定価千二百四十円。問い合わせは発行元の日本機関紙出版センター(〇六-四六五-一二五四)まで。

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筆者の坂下元司さん。このほど開かれた「’92平和のための大阪の戦争展」でも慰安所の実態を訴えた=大阪市浪速区の通天閣で

92.8.13
毒ガス戦8万人殺傷
中国軍部調査旧日本軍2000回使用
  【北京12日=共同】日中戦争中の旧日本軍による毒ガス戦について、中国軍部がまとめた詳細な内部研究がこのほど明らかになった。研究では、盧溝橋事件の起きた一九三七年から日本敗戦の四五年までの八年間に、共産党ゲリラ掃討作戦を含め少なくとも二千九十一回毒ガスが使用され、民間人を含む死傷者は八万人以上に上がった。
人民解放軍化学防御指揮工程学院研究室が、公文書館で見つかった当時の軍事電報や日本兵捕虜の供述、報道などの新資料と,これまで発見済みの旧日本軍や国民党側の資料を照合し再検証したもの。昨年六月、軍の内部発行研究「化学戦史」に掲載され内容が、このほど判明した。
  同書によると、旧日本軍に華北地方を中心とした「三光作戦」(焼き、殺し,奪い尽くす)を含むゲリラ掃討作戦でも少なくとも四百二十三回にわたって毒ガスを使用し、三万三千人以上の兵士・民間人が死傷していたことが初めて判明した。正規戦での毒ガス使用は少なくとも千六百六十八回、中国側軍人の被害は四万七千人以上でこのうち約六千人が死亡した、と推計している。
  また毒ガス使用件数の中には、中国兵捕虜や民間人への人体実験や実戦訓練も三十九回の実例が確認され、計三千人余りが中毒したという。
  毒ガスの種類が判明している六百七十一例のうち、イペリットなど致死性猛毒ガスの便用は約二割の百二十五例で、その他約八割はくしゃみ性や催涙性の刺激剤。しかし、中国側には防毒マスクなどの装備がほとんどなく「日本軍は少量の刺激剤だけでも、大きな軍事的効果を上げた」と分析している。
  中国には現在も約二百万発といわれる旧日本軍の毒ガスが残されており、中国政府は日本が全責任を持って処理するよう求めている。(共同)

9.14
日本賠償求め1億人署名へ
中国の市民団体
  【北京21日=時事】戦争中の民間損害賠償の対日要求運動を進めている中国の市民グループが二十一日、北京で「中国国民一万人」の名で日本の国会にあてた公開書簡を発表した。同クループはこの中で、戦争時の民間被害について日本が正式に謝罪し、賠償を行うまで一億人署名運動を展開するとしている。
  公開書簡を発表したのは中国老齢問題委員会付属科学研究センター研究員の童増氏らで、北京の日本大使館と日本の国会にそれぞれ郵送する。
  書簡は「中国政府は二十年前の中日共同コミュニケで政府間の戦争賠償は放棄したが、中国人民が(民間の)損害賠償要求を放棄したと政府が発表したことはない」と指摘。ただ、要求賠償は明示していない。

92.9.1
戦争責任問う作業も同時に
調布市 泉野淳子
(主婦・学生 33歳)
  八月二十五日本欄「『戦争』伝えねば」を読んで思いました。学校を休ませてでもお子さんを広島に連れて行きたい、という投稿者のお気持ちには、全く同感です。しかし、ヒロシマは日本の「被害の象徴」です。戦争を考える場合、被害者としての側面だけでなぐ、加害者としての面も見すえることが重要だと思います。
  二十数年前、旧西ドイツでは学生たちが「お父さん、戦争のとき何をしていたの」というスローガンを掲げて、ナチス時代に口を閉ざす親たちの責任を追及し、それが「戦争責任」を考えるきっかけとなった、と七月二十四日の本紙連載「戦後補償」は伝えています。
  戦後四十七年たった今、世界の人々は日独どちらの国がより深く戦争を反省し、平和を希求してきたと認めるでしょうか。
  私たちの子供を広島へ連れていくと同時に、しなければならないことがあると思います。
  実際に戦争を体験した祖父、父たちが生きている間に「戦争のとき中国、朝鮮や他の国々で一体何をしてきたの」と尋ねることです。そしてお父さん、あなたには娘や息子たちの、この質問に正直に答える義務があります。
  もし、本当に戦争を憎み、平和を求める気持ちがあるのならば。

92.8.8
  中国人慰安婦本調査書提出賠償求める
  【北京支局7日】戦争被害の民間賠償を求めている中国の民間グループが七日、北京の日本大使館に、従軍慰安婦について同グループが調査した結果をまとめた資料を提出するとともに、―人当たり五万ドルから十二万ドルの賠償を要求した。
  日中間の政府レベルでは国交回復時に、中国側が戦争賠償を放棄することで決着しているが、中国国内には、民間賠償は請求できるという声が出てきている。だが、日本に対し直接,民間グループが請求を出したのはこれが初めて。
  このグループの指導者は、童増・老齢科学研究センター研究員(三五)。七日、日本側に提出した資料は、中国・山西省の七人の旧慰安婦の実態報告。このうち四人は生存しているという。童氏はこの七人に対する民間賠償請求に対し、日本政府が三十日以内に回答するよう求めた。
  これに対し日本大使館側は、文書は受け取っにが、なんら回答しなかった。
  また、このグループは、民間賠償を求める五万人以上の署名を集めたという。

92.9.12
中国の従軍慰安婦新たに賠償請求へ
  【北京11日=共同】日本の戦前の中国への侵略に対する民間賠償請求運動を進めている元北京大学講師、童増さん(三五)民間グループは十一日、八月に北京の日本大使館を通じて求めた中国人従軍慰安婦への賠償請求に対して、回答期限の一カ月を過ぎても日本政府から何の返事もないとして、さらに新たな被害者の賠償を求める構えであることを明らかにした。

92.8.15

10万人の被害者組織
中国対日賠償求め結成

  アジア・太平洋地域から戦争被害に対する賠償要求の声が高まっているが、先の大戦で最大の被害を受けた中国でこのほど、十万人を超える規模の「中国民間受害者対日索賠連合会」(本部・河北省石家荘)が結成された。幹部には学者、文化人ら十八人が名を連ねている。
  強制連行に伴う戦争被害の救済運動をしている日本の「中国人強制連行を考える会」(田中宏代表)によると、連合会はその規約(全八条)の中で、「被害の実態を個人の自己申告にもとづいて調査し、法的手段で日本政府に賠償を要求する」としている。
  日中戦争当時、八路軍の根拠地だった河北省を中心に入会者が相次ぎ、河北、河南、山東、山西の四省だけでその数はすでに十万人を超えたという。
  中国は日中共同声明の中で、日本に対ずる国家賠償を放棄しているが、今春、全国人民代護大会(日本の国会に相当)に民間被害として千八百億ドル(約二十四兆円)の賠償を求める議案が初めて提案され、継続審議の形になっている。
  中国指導部も民間のこうした動きに干渉しない意向を示しており、今月初めには、中国人の元従軍慰安婦ら七人が総額八千五百万円の補償を直接、日本側に要求するなど具体的な行動も広がりつつある。
台湾人慰安婦2人が初証言
残留韓国人も
  【香港14日=津田邦宏】台湾で従軍慰安婦問題を調べている台北市の「台北市婦女救援社会福利事業基金会」は十四日、台北市で記者会見し、台湾人慰安婦二人と台湾に残された韓国人慰安婦一人が初めて当時の状況などを証質した。三人に、従軍慰安婦問題の真相究明と補償をめざしてソウルで開かれた「アジア連帯会議」と共に日本政府に謝罪と補償を求めていく考えを明らかにした。
  台北からの報道によると,台湾人慰安婦は七十二歳と七十三歳。一人は日本人夫婦に食堂のウエートレスとしてマニラに連れていかれ二年間、慰安婦にさせられた。一人は役場の選抜

天皇訪中を
戦争謝罪民間賠償多数が要求
北京大生ら意識調査

  【北京27日=五十川倫義】天星の中国訪問について、北京の学王のほぼ半数は歓迎しているものの、大多数が侵略戦争に関しての公開の謝罪と民間賠償を求めていることが、学生たちによる意識調査で二十七日、明らかになった。また、八割以上が日本を軍事上の脅威と考え、強い警戒感を持っていることも示された。
  この調査は北京大学の大学院生たちでつくる「国情研究会」が最近行ったもの。関係者によると、学部生、大学院生、一部若手教師を対象に、北京大で三千枚の調査表を配り、八百枚を回収。中国人民大学、北京師範大学でも五百枚ずつ配ったという。
  調査結果は公表されていないが、朝日新聞社はその概要と分析をまとめた主催者の文書を入手。また、文書にも記載されていない一部の数字については香港紙「華僑日報」が独自に紹介したデータを、改めて関係者に確認した。
  調査結果によると、「日本外交の基本的態度」について「侵略性に富む」「自己本位」との見方が圧倒的で、ほぼ全員が日本の軍国主義復活への強い警戒感を示した。
  また、七二年の国交正常化の際、中国政府が日本に戦争の損害賠償を求める権利を放棄したことについて、六割近くが「中国の利益を害した」と考えており、九割弱が民間賠償要求を支持している。
  昭和天皇の戦争責任を指摘したのは九割以上に及び、七割近くが、訪中期間中の公開の謝罪を望んでいる。
  これらを踏まえ、主催者側は「民間賠償や謝罪への高い支持率は、天皇の北京訪問に不安定な要素を与えている。もし日本が北京の学生の立場や要求を無視するならば、全国的な学生の反日の波を引き起こすことになるだろう」とまとめている。
  そして、半数が天皇の訪中を「歓迎する」と答えたことについては、反発はあるものの「中日関係の大局を重視しているため」とみている。
日中関係に関する学生の調査(北京大学「国情研究会」)
①日本に対する感覚は
好感8.6%
普通31.3%
嫌い51.4%
その他8.7%
②日本外交をどう思うか
侵略性に富む48.26%
平和を愛する0.74%
自己本位46.0%
平等互恵?
その他5.0%
③日本の軍国主義は復活すると思うか
必ず復活する50.0%
あり得る46.3%
不可能3.7%
④日本の軍事支出はすでに中国を超えている。中国にとって脅威になると思うか
ずでに脅威23.5%
将来、脅威61.0%
脅威になることはない13.0%
その他2.5%
⑤中国政府が日本に戦争賠償を求める権利を放棄したことをどう思うか
中国の利益に合致する17.8%
中国の利益を害した58.6%
判断は難しい23.6%
⑥日本の侵略期間中の行為について、民間が日本に賠償を求めることをどう思うか
支持する89.1%
反対する?
どちらでもよい4.9%
⑦前天皇は中国侵略戦争に責任があると思うか
主要な責任を負う27.8%
一定の責任がある65.9%
責任はない?
はっきりしない4%
⑧現天皇の訪中に対する、あなたの態度は
犬変歓迎する6.5%
歓迎する43.1%
歓迎しない15.4%
どうでもいい35.0%
⑨天皇は中国侵略戦争の罪について公開で謝罪すべきか
謝罪すべきだ67.6%
必要ない20.1%
どうでもよい12.3%
⑩天皇の訪中は中日関係にどんな作用を及ぼすか
大きな促進作用を及ぼす20.8%
普通61.2%
作用はない13.3%
反対の作用を及ぼす?
⑪国交正常化以来20年の両国関係の発展についてどう思うか
満足させるものだ1.2%
基本的に正常47.8%
満足させない50.9%
(その他の答え)0.1%

姜富中さんの戦後補償を考えるつどい

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ビデオ「忘れられた皇軍」を上映します
[講演]
姜富中氏
■1920年、韓国・慶尚南道生まれ。14.15歳のころ日本に渡る。1942年海軍に徴用され、ソロモン群島へ。飛行場の設営などにあたっていたが、1944年、戦闘機の機銃掃射を受け、右手と右目を負傷し、右手は親指だけを残し、手のひらは切断。
小山千蔭氏
■弁護士。在日韓国・朝鮮人の指紋押捺や権利の問題や外国人労働者の問題で弁護士として活躍。
5月1日PM.6時
大津市生涯学習センター
● 湖岸道路、膳所公園前
カンパ500円(資料代含む)
《主催》「姜富中さんの戦後補償を考えるつどい」実行委員会◆TEL O775-34-0907(清水)

1993.4.25
太平洋戦争で負傷、戦後補償を求める元日本軍属姜富中さん
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  カン・プジュン 1920年、韓国慶尚南道で農家の二男として生まれる。33年ごろに来日。津市で兄の商売を手伝っていた42年秋に海軍軍属として徴用され、45年の終戦まで南太平洋で建設作業や警備などに従事した。復員後は土木請負業や養豚業などを手がけた。現在は引退し、甲西町で妻と2人暮らし。72歳。

「国籍で差別、おかしい」

  ――負傷された時の状況を。
姜 一九四四年二月十三日のことです。当時私はソロモン群島のブーゲンビル島にあるポニスという所で、飛行場を守る警備隊に属していました。戦友二人と対岸の警備本部に爆弾を届け、伝馬船で帰る途中に連合軍の戦闘機二機に機銃掃射を受けました。船底に伏せていたら右手に鈍い衝撃が走つて。無傷だつた戦友の手を借りて、近くの無人島のジャングルに命からがら逃げ込みました。その日のうちにポニスの野戦病院で右手の指四本を切断する手術を受けたそうです。私は気を失っていて、指がなくなっているのに気がついたのは一週間後でした。右目の下にも銃弾の破片が刺さり、今でもほとんど視力がない状態です。
  ――補償を受けようと思ったのは。
  姜 十年ぐらい前、やはり戦闘中にけがを負った日本人の戦友に偶然会いました。聞くと恩給(一九五二年制定の戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金)をもらっている、というんです。
  私はそんなものは聞いたことがない。「同じ戦友なのに何でかな」ということになりました。県の援護課に問い合わせると「外国人だから該当しません」という答えです。納得できない思いで、とにかく当時の戦友や面倒を見てくれた衛生兵の方を訪ね歩き、私が確かに戦地に出かけ、戦火の中で傷を負ったという証拠や証言を集めました。そうしているうちに、東京や大阪で私と同じように朝鮮人だからという理由で年金を受けられなかった人が大阪で裁判に訴えているのを知りました。
  ――ご自身も提訴の準備を進めているのですね。
  姜 ええ。大阪での裁判を傍聴していると、原告の男性が援護法によって私たちがいかに理不尽な差別を受けているか、正々堂々と主張されている。私も喝さいを送ったり、被告の国には「逃げないでちゃんと答えろ」と言いたいんですが、傍聴席ではそれはできない。だから自分の手で私たちの置かれている立場を訴えたいと思ったんです。
  ――裁判では何を訴えたいのですか。
  姜 補償というのは、お金が欲しいから言ってるんではないんです。私たちはあの時、「皇民」として戦争に駆り出され「天皇陛下のために」と同じ苦労をした。私は右手と右目の視力を失った。それなのに戦争が終わったら「お前は日本人ではない。国同士の間で話はついた」と言って、国籍を盾に差別する。私の話を聞いた人は、だれでも「それはおかしい。ちゃんと補償するべきだ」と言ってくれます。より多くの人々にまだこんな問題が残っていることを知ってもらいたい、と思います。
(聞き手・中村 寧)

1993年3月29日 朝日新聞(滋賀版)
戦後補償求め訴訟へ
徴用中に負傷甲西の姜さん「不平等おかしい」
  旧日本海軍の軍属として徴用され、右手指四本を失うなどした甲賀郡甲西町岩根、土木請負業姜富中(カン・プジュン)さん(七二)が「在日韓国人という理由で、日本人ならもらえる障害年金などが受けられないのはおかしい」として、大津地裁に提訴する準備を進めている。姜さんは「旧西独や米、英などでは国籍に関係なく補償がある。日本の戦後補償のあり方が不平等なことを、みんなに知ってほしい」と話している。
  姜さんは韓国・慶尚南道出身。十四、五歳のころ家族と三重県に移り住み、一九四二年、二十二歳の時に海軍に徴用された。四四年二月、ソロモン群島で銃撃を受け、親指を残して石手のひらを切断、右目にも負傷した。
  五二年に定められた戦傷病者戦没者遺族等援護法は、障害年金などの対象になる軍人、軍属を日本国籍、戸籍を持つ者に制限している。同年の講和条約発効で、姜さんらは日本国籍でなくなったため、対象外になった。
  米、英、仏、伊、旧西独などでは、自国の軍隊において負傷した外国人元兵士らに、年金や一時金を支給している。しかし日本政府は「この問題は六五年の日韓条約などで解決済み」として.在日韓国人に年金を支払う義務はない、としている。
  姜さんは「同じ『皇民』として戦場に駆り出しておいて、補償をしてくれないのはあまりにも残酷な差別。我々に補償しないことが正しいかどうか、みんな考えてほしい」と話す。
  同様の裁判は九一年以降、大阪、東京などでも起こされている。
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戦後補償の不平等を訴える姜さん

太平洋戦争 1941~1945
昭和16(1941)年
12・8 日本軍 マレー半島上陸開始 真珠湾攻撃 タイ進駐 太平洋戦争開始
12・10 ルソン グアム上陸 マレー沖海戦
12・16 英領ポルネオ上陸
12・22 ウェーク島上陸
12・25 香港占領
昭和17(1942)年
1・2 マニラ占領
1・11 セレベス島上陸
1・23 ラバウルに上陸開始
2・14 バレンバンに落下傘部隊降下
2・15 シンガポール占領
3・8 ビルマのラングーン占領
3・12 マッカーサー 比島から豪州へ脱出
5・7 コレヒドール島占領 日本軍は東南アジア全域制覇
5・7~8 珊瑚海海戦 ボートモシスビー攻略は延期に決定
5・18 米豪遮断作戦準備命令
6・5~7 ミッドウェー海戦 日本軍の敗北で戦局は米軍優勢に転換
6・7 アリューシャン作戦開始
8・7 米軍 ガダルカナル島 ツラギ島へ上陸 反攻開始される
8・7~10 第一次ソロモン沖海戦 以後11・14まで三次にわたり同海海戦
9・25 ニューギニア ブナへ後退開始 ボートモレスビー攻略は中止
12・8 ニューギニアのバサブアで日本軍八〇〇人が玉砕
昭和18(1943)年
1・2 ニューギニアのブナで日本軍玉砕
2・1~8 ガダルカナル島撤退
3・2~4 ビスマルク沖海戦
4・18 山本五十六連合艦隊司令長官戦死
5・29 アッツ島の日本軍玉砕
7・29 キスカ島の日本軍撤収
8・6~7 ベラ湾海戦
9・15 大本営 南東太平洋方面持久戦決定
9・22 米・豪軍 蛙跳び作戦開始
10・2 ソロモン諸島のコロンバンガラ島の日本軍撤退
10・22 大本営 関東軍から太平洋戦線への兵力転用決定
11・5 第一次ブーゲンビル島沖航空線12・3まで六次にわたり航空戦
11・23 マキン島の日本軍玉砕
11・25 タラワ島の日本軍玉砕
12・27 米軍 ラバウル猛空襲開始
昭和19(1944)年
2・6 クエジェリン島ルオット島日本軍玉砕
2・17~18 米機動部隊 トラック島空襲
3・8 インパール作戦開始
3・30~31 米機動部隊 パラオ空襲
6・19 マリアナ沖海戦
7・7 サイパナ島の日本軍玉砕
7・8 インパール作戦退却命令
8・3 テニアン島の日本軍玉砕
8・4 ビルマのミートキナ日本軍玉砕
8・10 グアム島の日本軍玉砕
10・12~14 台湾沖航空戦
10・20 米軍 比島のレイテ島に上陸
10・24~26 レイテ沖海戦 連合艦隊壊滅
10・25 レイテ沖海戦で特攻攻撃開始
昭和20(1945)年
1・9 米軍 ルソン島へ上陸
2・19 米軍 硫黄島へ上陸
3・17 硫黄島の日本軍玉砕
4・1 米軍 沖縄本島へ上陸開始
4・7 戦艦「大和」沈没
4・23 ルソン島山中の日本拠点バギオ陥落
5・2 英軍 ラングーン占領
6・23 沖縄戦終了
8・8 ソ連軍 満州進行開始
8・14 ポツダム宣言受諾
8・20 マニラで降伏文書受領
8・26 満州虎頭要塞で関東軍と在留邦人約一〇〇〇人が玉砕
9・2 ミズーリ艦上で降伏調印
43
44
*  一九四五年一一月三〇日、陸軍省と海軍省が廃止され、翌日一二月一日に設置された第一復員省(陸軍)と第二復員省(海軍)にそれぞれ引き継がれた。引き揚げなどの残務処理にあたったのは、これらの省である。この二つの省は、翌年六月一五日には復員庁となり、四八年五月三一日には厚生省の引き揚げ援護の業務と合体して引揚援護庁となっている。現在の厚生省援護局は、こうした戦後引き揚げ援護機構の統廃合のなかで生まれた局である。援護局が、朝群人軍人・軍属の証明書を発行するのは、陸軍省、海軍省の名簿や資料を引き継いだからである。
表1朝鮮人軍人の兵種別人員表
45
(出所)『支那事変・大東亜戦争間動員概史』覆刻版435頁不二出版1988年

表2 敗戦後朝鮮人軍人・軍属復員状況(1953年5月現在)
46
(出所)公安調査庁『在日本朝鮮人の概況』(法務府特別審査局,1949年)より作成

表3 日本軍のなかの朝鮮人軍人数
47
(出所)『朝鮮軍概要史』の「徴募人員一覧表」より作成

1992.3.6A

国籍条項を再検討
外相答弁軍人恩給など対象

  五日の衆院予算委員会で、筒井信隆氏(社会)が旧日本軍人だった韓国人らに日本の年金や恩給が支給されていない問題を取りあげ、「国籍条項による差別は国連人権規約に反するのではないか」と、政府の戦後処理の姿勢を追及した。これに対して渡辺美智雄副総理・外相らは「国連社会の中で恥ずかしくないようにしたい」などとして、今後検討していく考えを示した。
  筒井氏は、フランス政府がセネガルの旧仏軍人に対する年金をフランス人より低額にしたことが、国連で人権規約違反とされた、と指摘。日本の戦傷病者戦没者遺族援護法や恩給法が、日本国籍がないとを理由に支給していないのは「国連人権規約違反ではないか」などと追及した。
  渡辺外相は「人道的立楊から片方(日本人)は恩恵があり、片方(韓国人ら)には何もないというのはおかしい、というのはもっともだと思わないこともない」「事実関係を総ざらいして改めて検討したい」と述べた。山下徳夫厚相も「戦後、半世紀たって(戦後処理の)はざまに置かれた人があるなら遺憾なことだ。今後、勉強して返事をしたい」と述べた。
  戦後処理問題は、朝鮮人従軍慰安婦問題などを契機に政治問題化している。

92.8.12A
論壇
わが国の賠償と戦後補償
  最近、「オランダ人慰安婦」問題などが報道され、わが国の戦後補償の問題が再燃してきた。今年は、対日平和条約発効後四十周年になるが、わが国は昭和二十九年から三十四年にかけて、戦時中損害を与えた相手国との間に賠償協定を締結し、五十一年にすべての賠償金の支払いを終了した。
  外務省戦後外交史研究会編『日本外交30年』などによると、国別の賠償金額は、ビルマ(ミャンマー)七二〇億円、フィリピン一、九八〇億円、インドネシア八〇三・一億円、南ベトナム一四〇・四億円、計三、六四三・五億円となっている。
  このほか、カンボジア、ラオスなど賠償請求権を放棄した国や、戦争中苦痛や損失を与えた国に対し、準賠償の形で無償経済援助を供与している。国別の準賠償供与額は、タイ一九二億円、オランダ三六億円、ラオスー○億円、カンボジア一五億円、ビルマ五〇四億円、韓国一、〇八〇億円、シンガポール二九・四億円、マレーシア二九・四億円.ミクロネシア一八億円、北ベトナム一三五億円があり、他に平和条約一六条による連合国軍捕虜救緕金として英国等連合国に対し赤十字国際委員会を通して四五億円、一五条による連合国財産の補償金として米、英、オランダ、インド等十八カ国に対し約八八・八億円、また、台湾住民元日本兵士弔慰金として日本赤十字杜を通して五六〇億円、計二、七四二・六億円で、賠償、準賠償分合計は六、三八六億円(約二〇億五千万ドル)に及び、国民一人当たりに換算すると約六、三〇〇円の負担となる。
  日本経済が立ち直りかけた昭和三十年代は輸出も二〇億ドル前後を低迷し、外貨準備高も一○億ドル程度といったありさまで、賠償金等対外債務の支払いは当時の国家財政にとって、かなりの重圧であった。各国との賠償交渉は、相手国が妥結額の十倍、二十倍の要求額を提示してくるのが常で、当局者は国益上の立場から知られざる苦労を重ね、粘り強く歩みよりを求めて協定をまとめる場合が多かった。
  以上の賠償及び経済協力に関する諸協定は、一部のものを除き、いずれも憲法七三条の規定に基づき国会の承認を経ているが、日韓請求権・経済協力協定二条では、両締約国及びその国民の請求権は「完全かつ最終的解決されたこととなることを確認する」と規定され、また中国は、日中共同声明においてわが国に対して賠償請求の権利を放棄している。戦争中インドネシアにおける抑留オランダ人の苦痛に対する補償問題は、私的請求権議定書によって前掲の額で解決済みとされている。
  政府高官が、しばしば「解決済みである」と発言する法律的根拠は、以上の諸条約の規定に基づくと思われる。
  しかし.最近の新しい情勢の下では、そうした説明で被害国の理解が得られるかどうか。
  近ごろ、日独両国の戦後補償の問題がよく論議される。第二次大戦は、ヨーロッパ諸国に史上空前の惨禍をもたらじたが、その元凶となったドイツは、歴史を深く反省し、ナチスの犯した暴虐に対して近隣諸国に真撃(し)な態度で謝罪し、国力を賭(と)して補償してきた額は約七兆円に及び、国民一人当たりの負担額は約八万八千円になるという。
  単純に国益という立場から考えれば、戦後補償という財政支出はないにこしたことはない。しかし、元日本軍人軍属、慰安婦問題などの事実関係が確認された場合は、ドイツの例を他山の石として誠意をもって補償すべきではあるまいか。終戦の日を迎えるたびに戦争への責任が反省される。理の通った戦後処理の解決なくして、日本は、アジアにおいて尊敬される地位をかち得られないであろう。
(とくたか・ちから 元衆議院外務委員会主任調査員)

資料27 請求権問題に関する日本政府答弁
[一九九一年八月二七日、参議院予算委員会]
〇清水澄子君 外務大臣、韓国では民間の中からどのような要求が起こっておりますでしょうか。
〇国務大臣(中山太郎君)  アジア局長から具体的に御説明を申し上げたいと思います。
〇政府委員(谷野作太郎君)お答え申し上げます。
  韓国におきまして、最近、いわゆる強制連行者あるいは元軍人軍属の方々、サハリンの残留者の方々、元戦犯あるいはその家族の方々から補償あるいは未払いの賃金の支払い等を求めていろいろな訴訟なりを行う運動が起こってきておりまして、私どもも報道等を通じてそのようなことを承知いたしております。
〇清水澄子君 今、なぜこういう補償要求が出てきたのでしょうか。その理由をどうお考えでしょうか。
〇政府委員(谷野作太郎君) 個々のケースによって当事者の方々のお気持ち等は異なるのではないかと思います。一概に私の方から御説明する資料もございませんけれども、他方、いずれにいたしましても、先生も御存じのとおりでございますが、政府と政府との関係におきましては、国会等でもたびたびお答え申し上げておりますように、六五年の日韓間の交渉をもってこれらの問題は国と国との間では完全にかつ最終的に決着しておるという立場をとっておるわけでございます。
(中略)
〇清水澄子君 そこで、今おっしゃいましたように、政府間は円滑である、それでは民間の間でも円滑でなければならないと思いますが、これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。
〇政府委員(谷野作太郎君)  先ほど申し上げたことの繰り返しになりますが、政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。
〇政府委員(柳井俊二君)  ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
  その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っておりま外交保護権ということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。
〇清水澄子君 七月十日の韓国の国会で、野党が強制連行された朝鮮人の未払い賃金を請求することについて質問したことに対し、韓国の李外相がそれは日本から返してもらう権利があるという趣旨の答弁をしておりますが、このこととどういう関係になりますか。
〇政府委員(谷野作太郎君)  韓国政府も、先ほど私が御答弁申し上げましたところ、あるいは条約局長が御答弁申し上げたところとこの問題については同じ立場をとっておるわけでございます。
  ただいまお話のありました李相玉韓国外務大臣の発言にこの問題についてございますので、そのくだりを読み上げてみたいと思います。「よくご存じのように、政府レペルにおいては、一九六五年の韓日国交正常化当時に締結された、請求権及び経協力協定を通じこの問題が一段落しているため、政府が」と申しますのは韓国政府がという意味ですが、韓国政府が日本との問において「この問題を再び提起することは困難である」、これが韓国政府の立場でございます。

◎日韓請求権・経済協力脇定第2条(抄)
1.両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されるものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
2.この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執った特別の措置の対象となったものを除く)に影響を及ぼすものではない。
(a)一方の締約国の国民で1947年8月15日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益。

◎同協定についての合意議事録(抄)
2.協定第2条に関し、
(a)「財産、権利及び利益」とは、法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうことが了解された。
(c)「居住した」とは、同条2(a)に掲げる期間内のいずれかの時までその国に引き続き1年以上在住したことをいうことが了解された。

◎対日民間請求権申告に関する法律(1979年1月19日、法律2287号)第2条(抄)
1.この法律の規定による申告対象の範囲は、1947年8月15日から1965年6月22日まで日本国に居住したことがある者を除外した大韓民国国民(法人を含む、以下同じ〕が、1945年8月15日以前(第1号、第5号及び第7号に該当する場合にはその限りでない)に日本国及び日本国民(法人を含む、以下同じ)に対して持っていた請求権等で、次の各号に掲げられたもの(以下”対日民間請求権”`という)とする。

資料13 国際人権規約/市民的及び政治的権利に関する国際規約
[一九七六年三月二三日発効、日本国は一九七九年五月三〇日署名、同年九月二一日発効]
第二六条 (法律の前の平等・無差別)
すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかっ効果的な保護をすべての考に保障する。

日本が求められている主な「戦後補償」

48

注=対象者は「ハンドブック戦後補償」編集委員会などによる

各国の補償の実態
西ドイツ
  ナチスドイツによるスラブ人やユダヤ人の強制収容、捕虜の強制連行などで、一千万人が犠牲になったほか、十万人の安楽死犠牲者などが出た。
  戦後、西ドイツ成立後は、連邦補充法、一九五六年の連邦補償法によって本格的補償が進められた。
  一方で、イスラエルに対しても補償の手続きがとられ、五二年ルクセンブルグ協定となった。これらの諸法は、六五年の連邦補償終結法によって、終わることになったが、このままでは不十分という批判を受けてその後は、連邦予算で設けられた基金という形で、補償は、続けられた。その総額は、八百億マルク以上(約七兆六千億円、九一年まで)にもなる。
  西ドイツは、戦後補償の先進国といわれているが、冷戦の影響もあって東欧諸国には補償がなされていない。
  一方、ドイツにおいて特徴的なのは民間企業に対する補償請求だ。第二次大戦中、ドイツにおける民間企業は、ユダヤ人やスラブ人を強制労働させた。それは、軍需産業などの国策に沿ったものでそれに対する補償を求めようというもの。この運動は、社民党や緑の党が全面的にバックアップしており、ダイムラー・ベンツやー・G・ファルベン(後に解体されて、ヘキスト化学会社などになる)などの企業は合計八百億マルクもの補償を行なった。
アメリカ
  真珠湾攻撃直後の一九四二年二月、大統領令九〇六六号によって、「軍の必要上」日系人(アメリカ国籍を持つ二世を含む)をキャンプに収容することになり、十一万人の日系人は砂漢や山岳地帯の収容所に集められた。
  戦後すぐに、形ばかりの補償が行われたが、六〇年代の公民権運動の高まりとともに、本格的な謝罪と補償を求める運動が盛んとなった。その中心となったのは、アメリカ日系人協会(JACL)。
  そのおかげで、七九年には「戦時における民間人の移動と収容に関する委員会法」が成立、日系人強制収容の事実調査委員会が作られることになった。このころから、教科書もこの事実を記載するようになり、アメリカ社会での理解も深まった。
  調査委員会は、補償を勧告する報告書を提出し、八八年ようやく補償の法律が成立した。その結果、アメリカ政府は強制収容が憲法違反であることを認め、正式に謝罪すること、該当する約六万人二万ドル(約二百八十万円)支払うことが決まった。
カナダ
  アメリカ日系人の運動を見て、カナダでも同様の動きが出てきた。八四年にはカナダ政府が正式に謝罪したが、八八年には全カナダ日系市民協会が損害の補償を求めたため、戦時中強制収容された日系人の生存者(一万二千人)に対し一人二万一千ドル支払う事が決まった。また、一千二百万ドルを日系市民協会の活動に支出することも決定した。
  アメリカ、カナダ政府は、補償にあたって居住地、国籍のいかんを問わず支払該当者を探す努力をしている。両国は、日本に係官を派遣し、面接、公聴会を行なった。

「厚生白書」1993.3刊

VI 援護
40 戦傷病者・戦没者遺族等の援護

[戦傷病者戦没者遣族等援護法による援護]
  軍人遺族等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し,国家補償の精神に基づき,恩給法による給付を受けている者を除く軍人軍属等であった者又はこれらの遺族を援護する目的で年金等の給付を行う。
[戦傷病者特別援護法による援護]
  軍人軍属等であった者の公務上の傷病に関し,国家補償の精神に基づき,特に療養の給付等の援護を行う。

戦傷病者戦没者遣族等援護法による援護

49

(注)1.金額は平成4年4月からのものである。
   2.受給人員は平成4年3月31日現在。
資料:厚生省社会・援護局調べ

戦傷病者特別援護法による援護

50

(注)1.受給人員等は平成4年4月1日現在、ただし、「援護の内容」の3、5、7は平成3年度のものである。
   2.「援護の内容」の7の人数は引換証交付者数である。
   3.金額は平成4年1日現在。
資料:厚生省社会・援護局調べ

特別給付金等
55
56
(注)支給件数は、平成4年3月31日現在。
資料:厚生省社会・援護局調べ

53
*23.4は、1923年4月の意.以下同じ、
( )内は国籍条項を定めた条文を示す、☆印は直接定めた条文はないが、援用法の関係から国籍要件がある、⑭,⑮は日本国民と外国人が平等.

図Ⅳ-1 戦争犠牲者援護立法の推移
表Ⅳ-1 日本の戦争犠牲者援護の予算(単位:100円)
54
出典:総理府『社会保障統計年報』(1990年刊)を中心とし、『厚生白書』(1990年刊)および前揚『引揚げと援護30年の歩み』で補足.
なお、項目の頭の数字は、社会保障関係総費用の小項目に付された通し番号.

1992年(平成4年)11月9日
シベリア抑留の恩給求め
在日韓国人が提訴
  日本軍人としてシベリアで八年も抑留されたのに、日本国籍がないことを理由には恩給を支給しないのは憲法や国際人権規約の「平等条項」に違反するとして、京都府久世郡久御山町林の在日韓国人、李昌錫さん(六七)が九日、日本政府を相手どり、恩給受給資格の確認と一千万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。外国人がシベリア抑留を理由に補償を求めて提訴するのは初めて。
  訴えによると、李さんは一九二五年、ソウル近郊で日本国籍を持つ「小林勇夫」として生まれた。四四年一月に徴兵され、ソ連国境警備にあたった。敗戦と同時にシベリアに抑留され、五三年十二月舞鶴に帰還した。
  李さんの在職年数は、みなし加算年を含め二十二年十カ月。恩給を受けるのに必要な在職年数の十二年を超えているが、サンフランシスコ平和条約を受けた五二年四月の法務省民事局長通達で日本国籍をはく奪され、今も恩給を受けていない、という。
  李さんは「私の意思と関係なく、植民地支配で日本人とされ、一方的な日本政府の通達で国籍を喪失させられた」とし、恩給を受けられないことについて、「国籍を理由に差別するのは、法の下の平等を定めた憲法一四条や、国際人権規約の内外人平等原則に違反する」としている。
  さらに、過酷な強制労働や思想教育を強いられ精神的にも肉体的にも被害を受けたうえ、何の補慣もないまま戦後五十年にわたって放置された。体もこわし、仕事に就くこともできなくなった、として、一千万円の賠償も請求している。
  総務庁恩給局は「恩給制度は、公務員であった日本国民に対する国家補償が目的で、外国人には受給資格がない。憲法や国際人権規約が禁止した不当な差別ではない」と話している。

1991-11-12 A4
韓国・朝鮮人BC級戦犯ら謝罪と補償求め提訴
「戦争責任、肩代わり」東京地裁
  太平洋戦争アジア各地で行われた戦争犯罪裁判で、連合軍捕虜を「虐待」したとして、死刑や懲役刑を受けた元日本軍軍属の韓国・朝鮮人BC級戦犯とその遺族ら七人が、「日本の戦争責任を肩代わりさせられた」と十二日午前、日本政府を相手取り、謝罪と総額約一億三千六百万円の国家補償を求める訴えを、東京地裁に起こした。「日本人」として朝鮮半島から徴用され、南方の捕虜収容所の監視員となりながら、戦後は日本国籍を失い、「日韓条約による解決」で補償の対象からも取り残されてきた人たち。
  (社会面に関係記事)
  訴えたのは、英国によるシンガポール法廷で死刑判決を受け、後に懲役十年に減刑された東京都田無市の会社役員、文泰福(ムン・テボク)さん(六八)ら在日韓国・朝鮮人五人と、オランダによるバタビア(現ジャカルタ)法廷で統殺刑になった下卞鐘尹(ピョン・チョンユン)さんの長男で、韓国・忠清北道の高校教師、卞光洙(ピョン・クァンス)さん(五〇)韓国在住の二人。
  訴えによると、文さんらは一九四二年、日本の植民地だった朝鮮から、二年契約の軍属として、タイ、マレー、ジャワなどに駆り出され、英国、オランダ、オーストラリアなどの連合軍捕虜の収容所監視員となった。が、二年の契約期間が過ぎても帰郷できず、泰緬鉄道(タイー旧ビルマ間)や南洋の島々の飛行場、道路などの建設に従事する捕虜の監視を続けさせられた。
  連合軍捕虜は、食糧も医薬品も十分にない過酷な状況下で労働を強いられ、例えば泰緬鉄道建設では一万三千人が死んだとされている。
  文さんらは「軍馬、軍犬以下と言われた軍属として何の権限もなかった。上官の命令すなわち天皇の命令で、鉄道建般隊などが必要とする人数の捕虜を工事現場まで引率したに過ぎなかった」としている。敗戦後、元捕虜の首実検などで逮捕され、BC級戦犯として裁かれた。
  原告らは五五年、互助組織「同進会」を結成、日本政府に国家補償を求めてきたが、「法的根拠がない」などとして拒否され締けてきた。今回の訴訟で原告側は、三十五年にわたり必要な立法措置を行わなかったことへの違法確認と、原告らへの謝罪文の交付、刑死者にっいては五千万円、その他については拘禁されていた期間に応じ、刑事補償に備じた補償額を請求している。

1991-2-1
「戦傷者援護」適用を元軍属の在日韓国人提訴 大阪
  太平洋戦争中、日本政府に強制徴用されて軍属となり、爆撃で重傷を負った在日韓国人の無職鄭商根さん(六九)=東大阪市荒川三丁目=が三十一日、「戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用が日本国籍、戸籍を持つ者に限られ、何の補償も受けられないのは個人の尊重を定めた憲法一三条などに反しており、在日韓国・朝鮮人に対する差別に当たる」として、国を相手取り、援護法の適用を受け地位にあることの確認と慰謝料一千万円を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
  徴用されたまま生死さえ不明の朝鮮人は、軍人、軍属に限っても十数万人以上いるといわれる。徴用をめぐっては、韓国人や遺族ら二十二人が去年十月、日本政府を取手取り、賠償支払い義務の確認などを求める訴えを東京地裁に起こしているが、在日韓国人の訴えは初めて。
  訴状によると、植民地下の朝鮮で生まれた鄭さんは一九四二年、日本海軍の軍属として強制徴用され、マーシャル諸島で戦車の修理や飛行機場建設に従事。四三年十二月、米軍爆撃で有右手を失うなどの重傷を負い、日本に送還された。
  ところが、五二年定められた戦傷病者戦没者遺族等援護法は、障害年金などの補償の対象となる軍人、軍属を日本国籍、戸籍を持つ者に保持していたが、同年のサンフランシスコ講和条約の発効に伴って日本国籍でなくなり、補償の対象外になった。原告側は「日本の侵略戦争に加担させられ負傷したうえ、何の補償も謝罪もない。日本政府の無責任を許すことはできない」としている。
すでに「解決済み」
厚生省援護課の話 指摘された事例については詳細を承知していないが、一般論としては、援護対対象者は日本国籍を有する者。原告に日本国籍がなければ受給資格はない。とうした問題については日韓請求権協定で解決済みと聞いている。

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